おれは急に彼女を愛しく思った。
「結婚しよう」
 自分の口からこんな言葉が出ようとは思わなかった。彼女は丸い目をもっと丸くしておれを見た。
 彼女は、突然、両手を目の前でワイパーのように振った。
「わー、今のなしー!」
「え?」
「こんなプロポーズいや。車の信号待ちでなんて」
「え? でも、今、ほんとに結婚したいって思ったんだけどなぁ」
 プロポーズはシチュエーションを選ぶものらしいということは、このようなことをあと2、3回繰り返してやっとわかった。なに? 1回目でわかれって? おれとしては無理やり状況を作ってプロポーズする方がよっぽどおかしいと思んだがなあ。それにあの秋篠宮殿下と紀子さまだって信号待ちでプロポーズしているではないか。信号待ちはロイヤルなのだぞ。
 と、強がってもプロポーズを受けてもらわないことには話が進まない。おれは先人たちのプロポーズを検討することにした。幸い、おれの職場には「結婚回覧」という風習がある。それは職場の人が結婚したことを伝えるための回覧だ。友人が作って回すのだ。たいていの場合、それには、いつ、どこで、どんな言葉でプロポーズしたかが書かれているのでこれを参考にしようというわけである。
 軽井沢、山下公園、K條さんはスキー場か、やっぱ、日常を離れてどこかに行ったときってのが定石らしい。しょうがないなあ。
 1992年11月某日、おれは彼女を湘南方面へドライブに誘った。目的は鎌倉の円覚寺。この辺りの寺に行くと野生のリスが見れるのだそうである。これは仕事でおれが担当しているのお客さんに教えてもらったことだ。彼女は動物が好きだし、とりわけ、ウサギやリスといった小動物が大好きだから、見れたらきっと喜ぶだろうと思ったのだ。

「いかん、リスなんてどこにもいないじゃないか」
 おれたちは観光客のお年寄りに混ざって、林の中を歩いた。本当にこんなところにリスがいるんだろうか。だんだん不安になっていたのだが、円覚寺に行ったら、ほんとにリスがいるのだ。びっくりした。ただ、リスと言うからシマリスを期待していだのだが、あの辺りに繁殖しているのは、台湾リスというグレーのリスなので、ふさふさしたしっぽを見るまではドブネズミにか思えなかった。それでもおれたちはリスが見れて嬉しかった。リスが両手でピーナッツを支えて食べる姿を間近で見て彼女はおおはしゃぎだった。
 昼食を鎌倉でとり、車を材木座方面へ走らせた。
 湘南の海は、もう冬だった。濃いグレーの波とひとけのない砂浜。潮の引いた砂浜は犬の足跡がぽつぽつとあるだけだ。おれと彼女は思わず駆けだした。おれは落ちていた棒を拾い、砂浜に直径二十メートルぐらいのレレレのおじさんと本官さんを立て続けに描いた。
「ナスカの地上絵だ」
「わたしもっ」
 彼女は猫を描いた。
 そのまま二人で一時間程、ナスカの地上絵ごっこをしてしまった。
 今になって思うのだが、この砂の上に「結婚しよう」なんて書いたらよかったのだろうか。やめ、やめ、おれにはレレレのおじさんが似合ってる。(終)

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