3人はコリドー通りをJR有楽町駅に向かって歩いた。「まだ早いし少し飲む?」というゼロの言葉に伊東は来る前に気になる看板を見つけたのを思い出した。
「ちょっと先になんとかパブっていう看板が出てたよ。ゼロくんの好きそうな感じだったなぁ」
 彼らはお互いの趣味を完全に把握しているわけではない。しかし仲間の勧めを試してみることで自分の視野が広がるという経験を何度もしていた。伊東の沖縄料理好きももとはと言えばゼロから勧められたものであった。不思議な信頼関係が成り立っている。
「行ってみましょう」

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 その看板はすぐ先が行き止まりになった路地の入り口に立っていた。看板には「FREE HOUSE IRISH PUB POP INN II」とある。この路地の両側に4軒ほどの小さな店が並んでいる。中でもその店はバラックを改造したような感じで異彩を放っていた。
 この一角だけ銀座には似つかない雰囲気が漂っている。3人が少し躊躇していると中からマスターらしき男が顔を出した。桜金造と赤塚不二夫を足して2で割ったような顔、そして雰囲気だ。もっとも足して割ってもそれほど変わらないことはわかっている。
「こんばんわー!」
 声をかけられてしまってはしょうがない。3人は入ってみることにした。

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 酒には詳しいゼロもアイリッシュウィスキーはウィークポイントだ。ゼロは棚の酒のビンを確認するように見た。大山に何やら話をしている。ほとんどが酒屋では見かけないものばかりだ。マスターは棚からウィスキーを1瓶取り出した。
「これなんかおいしーですよー。飲んでみますか?」
 ラベルには「JAMSON12」と書かれている。12というのは12年ものということだ。とりあえずロックでそれをもらうことに。アイリッシュウィスキーと言えばコーヒーに香り付けとして入れるほど自己主張の強い癖のある香りを持っている。それに比べて味は思ったほど癖が無い。これに比べるとバーボンの方が初心者には圧倒的に飲みにくいと伊東は思った。伊東はゼロたちと知り合うまではバーボンが飲めないスコッチ男だったのだ。3人とも思いがけず出会ったうまい酒に喜んだよう様子だ。
 つまみにタコスチップスを頼んだ。大山はタコスチップスが大好きなのである。メニューを見ていて「フィッシュ・アンド・チップス」の文字が伊東の目に留まった。寿司で腹は満たされていたがどうしても食ってみたい。伊東は大山と相談して注文することにした。こういうときはゼロをあてにしてはいけない。正確にはゼロ以外のふたりが圧倒的に大喰らいということなのだが。
「うちのフィッシュ・アンド・チップスはおいしーですよー」
 マスターのセリフは絶妙なタイミングだった。

 フィッシュ・アンド・チップスと言えばイギリスのまずい食べ物の代名詞にもなっているものだ。ところが出されたフライドフィッシュを一口食べたとたん大山の表情が変わり大声を上げた。
「うまいよ! さっきの赤身よりうまい」
 さっきの赤身とは寿司清で最後に大山が食べたものだ。何も言わなかったがハズレだったんだのだ。ゼロと伊東は少し気の毒になった。この店のフライドフィッシュはふっくらと揚がっていて中はしっとりとうまみがある。イギリスのフィッシュ・アンド・チップスはパサパサかベシャベシャだという。新鮮でない魚で作るからおいしくないんだろう。
「このイモもうまいよ」
 今度は伊東だ。かみ締めるたびに口の中でクリームのように滑らかになり、ジャガイモの濃厚な味を感じる。このジャガイモは粉ふきいもを作っても粉がふかないタイプのものだ。フィッシュ・アンド・チップスのチップスにはこのタイプのジャガイモがあう。
 3人は狭いカウンターの片隅を見た。そこには1つだけあるコンロの上に油まみれのなべが置かれていた。どう考えてもこれで作ったのだろう。このマスター、ただ者ではない。

「あー、そこ乗らないでください」
 マスターが言った。ゼロはカウンターの下に置いてある中空の丸太の上に乗って、うまいうまいとはしゃいでいたのだ。ゼロにはこういう子供っぽいところがある。

 うまいものにありついたのでもう1杯酒が飲みたくなった。3人は奥の空いた丸テーブルへ料理の皿と自分のグラスを持って移動した。奥といってもちょっとなかに入った程度で、丸テーブルといっても立ち飲み席だ。
 次にマスターに勧められたのは「COLRAIN」という酒。これはJAMSONよりさらに飲みやすい。伊東はさっきのポテトだけは無いかとメニューを探している。大山が見つけてくれた。伊東は注文するタイミングを見計らっていたが結局食べなかった。今度行ったときの楽しみに取っておくのだ。不思議とそれから店を出るまで何を話していたか誰もはっきりとは覚えていない。覚えているのは楽しかったという感覚だけだ。

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 ゼロ、大山、伊東の3人は数寄屋橋公園の段になったところに腰を下ろしていた。岡本太郎作の「若い時計台」が立っている。次にこのメンバーが揃うのは横浜の保育園児誘拐事件を解決した時だろうか。ゼロは満腹ではちきれそうな腹に苦しみながら、事件の手がかりをひとつずつ探り直していた。犯人をただ捕まえるのは簡単な問題である。しかし真治くんを無事救出するとなると話は複雑だ。ゼロの頭脳は複雑に絡み合ったパズルのピースをひとつずつ正しい位置へを置こうと試行錯誤していた。
 大山と伊東も真剣な表情で前を見ていた。彼らなしでは横浜探偵倶楽部は成り立たない。ゼロが礼を言おうとしたとき、大山が口を開いた。
「伊東さん。うどん、うまそうですね」
「うん」
 2人の視線の先には「関西風きつねうどん」というちょうちんのついた屋台あった。
「関西風ってのが気になるね」
「食います?」

 ゼロは屋台へと歩いていく2人の後ろ姿を見ながら、これだからなぁ、と肩をすくめた。

(終)

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