日記

パッチが死んだ日(その1)

 今日「パッチ」が死んだ。パッチは実家で飼っている13歳のヨークシャーテリアだ。
 今日は友人の結婚式の二次会のために昼過ぎに実家に帰った。パッチが苦しんでいたことはそのときに知った。母はおれに心配をかけないように連絡しなかったようだがそれを責めるつもりはない。偶然にも今日実家に帰ってこれたのだから。
 パッチは腎臓がうまく機能しないため、血液内に悪い物質がたまったままになり尿毒症にかかっている。この物質が今は吐き気を引き起こしているそうだ。そのため食事ができないどころが飲んだ水も吐いてしまう。点滴から取った水分が胃液として分泌されるたびに、小さいからだを振り絞って、口から鼻からどろどろした胃液を吐く。目を剥いてすごく苦しそうだ。気持ち悪さを必死にこらえて、吐くときは部屋の隅に行くというしつけられた習性がいじらくてたまらなかった。母と妹は昨日から寝ていないという。パッチの行きつけの動物病院の岡本先生は今回は覚悟をして欲しいと言ったそうだ。パッチは7歳のときに妹が知り合いから譲り受けた犬で、もともと内蔵が弱かった。岡本先生には何度も命を救ってもらっている。岡本先生がそう言ったということは、そういうことなのだ。ただ、このまま栄養と利尿剤の入った点滴を続けて、オシッコとして悪い物質を出すことができればいいかもしれないと言った。だが全然オシッコは出ない。人間なら人工透析するという方法がある。人間でも一生人工透析を続けてないと生きていけない病気だったのだ。

 おれはさっきから「安楽死」という言葉がちらついていた。妹にその話をした。妹は昨日から30分おきぐらいに吐き続けるパッチに付き添いながら、そのことを考えていたという。パッチが元気なときに「年だから長くないかもしれないね」という話題を出すと「そんな話はしないで!」と一番嫌がった妹がだ。
 仕事の関係で静岡の清水市にいる父がこっちに向かっているという。パッチがあまりにもつらそうなので、父が家についたら岡本病院に連れていって眠らせてもらおうということに半ば感情的に決まっていた。父が到着し、そのままパッチを連れて岡本病院に行った。岡本病院でインターンをしている若い先生は点滴の支度をしてくれていたが「安楽死」の話をすると別室に通された。そんなとき、さっきまでぐったりしていたパッチがいつもの黒くて大きな丸い目をしてみんなの顔を見ているのだ。家族みんなが揃って、家じゃないところにいるのが不思議なのかもしれない。おれたちは少し落ちつき本当にこれで良いのか悩んだ。岡本先生は安楽死させようとは言わない。家族の意見が決まるのを待っている。おれは、父が帰ってきたことだしいったん家に帰って、みんなでちゃんと考えようと言った。
 友人の二次会は欠席することを電話で伝えた。

 家に帰るとパッチはやはりぐったりしていた。病院では緊張していたらしい。家がやはり落ちつくんだろう。点滴の水分が切れたので吐き気の間隔は長くなっていた。しきりに水を飲みたがり、岡本先生に言われたように指に水をつけてパッチの口を湿らせてやる。しばらくすると吐き気が来る。
 両親、妹、おれはパッチの側でいろんなことを話して涙を流した。楽しかった話もした。その間にもパッチは何度か吐いた。
 妹は「パッチはもう充分がんばった」と言った。がんばったのは今回だけではないのだ。今までに何度か大きな手術をしてがんばらせてしまっていた。飼い主のエゴだったのかもしれない。パッチに聞いてみないとわからない。だったら、治療の継続、安楽死、自然死のどれを選べば「飼い主の責任」になり、どれを選べば「飼い主のエゴ」になるのだろうか。自然にするのが一番という考え方もある。パッチはどうして欲しいんだろう。万が一でも点滴で治るかもしれない。治ってもつらい状態が続くのかもしれない。このまま放っておいても苦しんで死んでしまう。点滴で持ったとしても自分で水も飲めないのでは自力では生きていけない。文章で書くと簡単に書けてしまうがなかなか認めることができなかった。
 堂々巡りをしながらみんなが安楽死させることで決心をした。本当にこれで良かったのかわからないが、どれを選んでも悲しい選択肢の中では最善なのではないかと思ったのだ。とにかく岡本先生に来てもらってこの家で眠らせることに決めた。せめて安心できる自分の家でと思った。
 8時になったら岡本先生に電話をしよう、あと30分たったら。そういうふうに決めないと体が動かなかった。
 電話をすると留守番電話だった。診療時間が終わった頃なので食事をしているのだろう。ほっとしたような気持ちで、そのことを家族に伝えた。
 それから何があったかよく覚えていないが、9時過ぎぐらいに岡本先生からうちに電話がかかってきた。父が話を使えようとするがうまく説明できないようだったので、おれが代わった。おれの役目のような気もしたのだ。何度も家族の意思であることを確認された。最後に岡本先生は「それがいいですね。パッチくんを楽にしてあげましょう」と言った。

パッチが死んだ日(その2)につづく

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