Quickca Fight Oct, 1998
10月の思い出し日記

10/2
 妹が退院した。今なら書く気になれるので、一ヶ月前の話を書く。
 下垂体腫瘍の手術のために入院して、その手術の後、ひどい腸炎になった。下腹部が腫れてとても苦しそうだった。脳外科の手術の後はすぐに何でも食べられるようになるはずが、そんなことでずっと入院生活で、点滴から栄養をとっていた。脳外科と同時に内科にかかることになった。
 医者の方はすぐに治るとの予想だったようだが、一週間以上もそんな状態だったので、内視鏡で腸を診察した。
 母は、この日の朝に内視鏡で腸の検査をするという話を聞いていて、その結果を昼過ぎに聞きに来てくれと言われていた。不安を感じたらしく、母は会社にいるおれに電話としてきた。おれは午後休暇を取ってすぐに病院に行った。
 ナースセンターに行くと脳外科の主治医と内科で担当している医者がいた。周りには数人の看護婦がいた。検査の説明は内科の担当医がした。内視鏡では潰瘍がたくさん見つかったと言う。その時にとった組織を分析してみないと正確にはわからないが「クローン病」かもしれないと言った。そしてそれが現在は原因不明の難病で、死ぬ病気ではないが不治の病だと説明された。母は全身の力が抜けて、座っていた椅子から床に崩れそうになった。おれが支えなかったら本当にそうなっていただろう。おれも一瞬、血の気が引き、変な不安感にでいっぱいになった。気持ちがすごくそわそわしている自分を、別の冷静な自分が見ているというような感じだった。
 脳外科の主治医は、看護婦にストレッチャーを用意するように言ったが、母はこのままでいいと嗚咽を上げながら言っていた。
 しばらくして父が来た。普段は仕事の関係で富士市にいる。今朝、母が連絡したときは来ないつもりだったらしいが気が変わったようだった。不思議と家族が揃った。病室では妹が待っているのだが、説明された後も部屋に戻ることができずに、3人で少し話をしていた。結局、その日のうちにクローン病であるかもしれないということを使えて、その何日か後には、それがどういう病気かを簡単には説明した。結局、一週間して検査結果からその病気ではなかったことがわかったのだが、すごくつらい一週間で、医者や病院への不信感がつのるばかりだった。おれは、大阪のデモの準備や、そのための出張していたときのことだ。
 あとで妹は、家族の誰も「元気になるよ」とは言ってくれなかったと話した。そういわれるとそんな気がする。そして、それがすごく不安だったそうだ。そのひとことを言ってやれなかったのがすごく悔やまれる。
 結局、下垂体腫瘍でホルモンバランスが変化しことや、人一倍、ひとりで我慢してしまう妹の心のストレスが引き起こしていたのではないかということになった。それで、みんなが安心して、妹も安心するとだんだん良くなって約2か月の病院生活を終えた。

10/3
 銀座でロシナンテ歌謡ショーを見た。耳しか見えなかった。なんかかわいそうな感じだった。
ロシナンテの耳 ロシナンテの目

10/7
 C化粧品向けのプロトタイプができたので、C化粧品のシステム担当者を会社に招いてデモを行った。要するにRedBrickでやるとOracleでやるよりこんなに速いですよというのを見せるのだ。デモは好評だったが受注はできなかったようだ。

10/8
 夜、G社に行き、できたてほやほやのバナコレを1冊もらった。解像度の低いものは、相変わらずぼけぼけしていたが、それでも初校よりもきれいにあがっていた。印刷屋さんも人知れず努力してくれたのだ。うれしかった。
 その後、K社という出版社に行った。大学の友人が独立して始めた出版社だ。G社と同じ駅で、歩いて行ける。
 開業祝いに出世払いで本を書いてと言われた。出世払いは問題無いが余裕が全然無い。

10/9
 夜、古くから付き合いのあるKというWebデザインの会社に行き、Iさんに会った。本を作るときには声をかけてもらっているし、ライターとしてのおれを応援してくれているので、拙作と言いつつも自信作の「バナコレ」を献本した。
 おれが会社を辞めていると思っていたらしい。誤解を招くようなことを言ってすみませんでした。
 いろいろ興味深い話が聞けた。

10/10
「バナコレ」発売日。ちゃんとこの日に売っていたらしい。

10/15
 ある会社向けに作ったプロトタイプを、例の関係会社の営業部員を主体とした「勉強会」でデモをした。その会社の偉い人は、営業の理解度が足りなかったから、他社に取られたと思っているらしい。そうかもしれないと思うが、すぐにその対策をたてるのはすごいと思った。もっとも突然、勉強会に出ろと言われた人たちは嫌々出席したのかもしれない。
 勉強会は、同じ部のT主任がまず「データウェアハウスとは」から始まって、売り方についてまでをプレゼンした。聴講者をぐいぐい引きつけた。いつもながら感心してしまう。そのあとデモ。社内ということで実データを使ったが、こういうのはわざとらしく作り込んだデータよりも生のデータの方が迫力がある。いちいち、反応があるのが面白い。

10/17
 妹の快気祝いを横浜の実家で行った。妹の親友のあっちゃんと彼女の夫でイギリス人のジュリアン、彼女のお母さんが来た。ワインを飲み過ぎて悪酔いしてしまった。
 妻のみわちゃんとひどいケンカをした。

10/20
 次の本の企画でG社のO氏と打ち合わせをした。もちろん打ち合わせもしたが、慰労の飲み会でもあった。初めてじっくり一緒に飲んだ。

10/23
 1998年下期の部内キックオフってのをやった。上期の反省と下期の目標ってのをプレゼンさせられた。数日前にビデオでエヴァの最終話付近(映画で作り直したやつ)を借りて見たので、エヴァ風プレゼンをした。おれのPowerPoint書類だけ20MBもあった。

10/26
 朝から事業部の1998年下期方針説明会があった。場所は本社の講堂。初めから最後まで、初めてまじめに聞いたような気がする。